いまいちやりきれない

ここぞというところで踏ん張れない女の伝記

コロナ後遺症

 

お疲れ様です。

年末ですね。

 

四国に雪が積もったり、なんだか不穏な年末ですけど、いかがお過ごしですか。

 

そうそう、先日コロナに罹りまして。

こんな軽い出だしで始めていいものか。

父、母、自分の3人家族。一気に感染しました。

 

よく高齢者で持病のある人が重症化するといわれてたので、父、母の警戒をしてたのですが、なんなら私より軽快な感じでした。韻です。

 

例の如く、味覚障害ありました。

最初に陽性が分かった父と隔離が始まった日に食べた冷凍食品。

苦くて食べれたもんじゃなく、不良品だなこりゃと我慢して食べ切りました。

その後喉の痛み、翌日の発熱。

あー、with me コロナ?

 

陽性判定を受けて数日後、あの冷食に罪は無かったと気付きました。

 

馬鹿は風邪をひかない=馬鹿は風邪をひいても気付かない。

そんな言葉を思い出しましたね。

 

 

その後5日くらい40℃いったり、解熱剤飲んで下がったり。

スマホ操作がままならない父、母にかわって、その父、母よりしんどい自分が保健所の報告を毎朝更新。

悪化していない旨のチェックを入れるたびに、なんとも言えない気持ちになりました。

 

 

自宅療養終了後、食欲も味覚もない味気ない毎日に飽き飽きしていたので、真っ先に向かったのはマックのドライブスルー。

 

グラコロのセットを注文して踊る心。弾む体。おしゃれな尻尾。

 

興奮とはやる気持ちを抑え切れず、駐車場で慌てて口に放り込んだポテトは、

ただのカスカスしたちょっと塩っぱい棒でした。

グラコロも例に漏れず、べちゃべちゃした塩っぱい塊。

 

無敵のマックもコロナの後遺症の前には屈服していましたね。

あの敗北の味は忘れられません。

 

 

そんな味覚障害の後遺症も今は治り、塩味が苦味に変わるといった不等価交換もありません。

 

 

ただ…こう…なんだろう…

仕事に行くのが憂鬱なんだよなあ…

仕事してても集中力の低下を感じるんだよなあ…

そして前にも増してポンコツを発揮してるんだよなあ…

これは…後遺症か…

 

と各方面に言い訳をしていたのですが、どうやらあながち見当違いでもないみたいで。

コロナに罹った人でその後、気分の落ち込みや集中力の低下といった症状が見られる人がいるみたいです。

 

 

あーあーなら仕方ないよなー。

自分の気持ちの持ちようではないよなー。

 

と今日もコロナの後遺症を言い訳に、そこそこを生きる自分でした。

 

 

総合評価:辛いことから逃げずに頑張りましょう。

 

毎日お疲れ様です。

転職して早や2ヶ月が経ちました。

最近は出勤時の心拍数もやや落ち着き、スマートウォッチもオーバーワークにならず穏やかな日々を取り戻しつつあるそうです。

 

スマートウォッチ持ってないんですけどね。

 

1週目はあんなに、あー早く辞めたーいなんて思ってたのに不思議なもんです。

まあ、今も辞めたい気持ちは全く変わっておりません。

 

毎日嫌なら辞めてもいいを繰り返しなんとか通勤する日々で、いつでも逃走の準備(気持ち)は出来ているのです。

なんせ自分、逃げの達人なもんで。

 

 

 

遡ること私が逃走術を身に付けたのは、小学生。

兄弟みんな通ったというそろばん塾。

当たり前のように通わされそうになったところ、嫌!の一言で帰宅した私。

幼少期から逃走者の片鱗をチラつかせておりました。

 

自ら通いたいと言ったらしい(?)剣道も何が嫌だったのか、練習前のランニング中に鼻を強く擦り鼻血を強制的に出してサボり…

1年半も行ったのか…行ってないのか…

 

 

 

中学生になるといよいよ本格的な逃走犯に。

保健室登校の名の下に、教室に行ったのは数えるほど。

そもそも保健室登校ですらありません。

保健室はギャルヤンキーの溜まり場で、こんな下っ端が居れる場所などある訳もなく、障がい者用トイレが私のアナザースカイ。

3年になってからは空き教室の使用権を獲得出来ました。やったね。

 

 

 

高校生になり、そろそろ親孝行もせねばなと意気込んだ4月。

教室に顔を出したのは2日。

当時の担任は呆れていました。面談も含め、3回しか対面しておりません。

 

入学半年で通信制?の学校へ編入

学費がえれぇ高ぇこと。親孝行とはなんだったのか。

編入先でもバンドを組んだかと思えば先輩と喧嘩し、脱退。

勉学の方も当然儘ならず、通学の電車を何回途中で降りたことか。そちらの方は数えきれません。

 

 

本当10代の自分は脱線しまくり暴走機関車ですね。

 

そんな10代で1番多く言われたのは、「逃げるな」です。

嫌なことから逃げるな、逃げるな向き合え。

ギャルヤンキーは受け入れた保健医も、中2の時にもらった通信簿にも、3回しか会ったことない高校の担任にも、

逃げるなの言葉をもらいました。ありがたいお言葉ですね。

 

そこで私がとった手段は、

 

紛れもなく逃げるでした。

 

メタルスライムもびっくりです。

 

今ではあの時学校行ってればなーとか、勉強してたらなーとか、思わないでもないですが、逃げた割にはそれなりの人生を送れております。

 

20代もなかなかの逃げっぷりですが、普通に社会人が出来てます。必死に擬態しております。

たまに化けが剥がれてしまうけど。

 

それでもなんとか人として生活しています。

あんなに希望がなかった10代の頃の20代像。

そんなに悪いもんじゃないぞと思えるくらいには、そこそこ楽しい大人になれたんじゃないかなと。

 

とは言っても所謂逃げ癖は確実に私の奥底に染み付いている。

20代の逃走劇についてはまた後日としましょうかね。